『憧れの東京とダンスミュージック、虎のソウルオリンピック、フランス革命で広がった国民国家』

◉憧れの東京とダンスミュージック◉
私は今回の休日で、二人の外国人学生と渋谷で会う約束をした。
とても魅力的な彼らとの妙な出会いから、意気投合した話をしたい思う(勿論それらは私のフィルターを通しての紹介だ)。
一人は韓国人女性のユナと、もう一人はフランス人男性のアルマンだ(どちらも仮名)。
二人は大学生カップルで東京で知り合ったとの事だ。

私と彼らの出会いは1年前の渋谷WOMB。確かテックハウスのイベントでイギリス人DJ(名前は忘れた)だったと記憶している。
酔いも回りきった朝方4時頃。まだまだパーティーは終わらない。
DJは教祖的カリスマ性を振りかざし拳をあげシャウト、それに合せた信者的クラウドも拳をあげシャウト。
夜の太陽を思わせる、巨大なミラーボールが頭の上で眩しく回る。
サブベースが床を振るわしそれに合せて揺れ動く身体、乱れる髪、血中に入る込むアルコール。
ダンスフロアーはピーク時よりは少なくなっているがまだまだテンションは高く、明け方に向けてラストスパートの真っ最中であった。

話し始めたのは、どっちからだっか記憶にない。
とにかく我々は何故か話し始め意気投合した。

イベントが終わった朝5時、外に出て朝食を取る事になった。
我々はジョナサンで朝7時まで話し合った。
一晩中飲み明かし朝日を目にしたしまったらのだから、妙にハイテンションになる時間でもある。
しかし知り合ったばかりなのに本当に不思議である、年齢、国籍も違うのに昔からの友のように話し込んだり、爆笑したりした。

強いて言うなら我々の共通点は東京とダンスミュージックだ。
(ダンスミュージックは本当にグローバルだ!)

彼らは子供の頃から日本そして東京に憧れていた。
日本映画、アニメ、ファッション、東京の街風景、歴史。

ユナはアニメの中でも「ハチミツとクローバー」が特に好きで、日本的な可愛さと切なさがよく表されていると言った。
主人公の男子とヒロインのハグちゃんの、微妙な恋愛感情がなんとも言えなく好きなのだと言った。

アルマンは日本史「平家物語」と「義経記」が特に好きで、源義経は彼の中でヒローであるらしい。
幼名牛若丸、壇ノ浦の戦い、彼はどのエピソードも興奮して話していた。
それを聴いた私は、源義経とほぼ同年代活躍したフランス人騎士リュジニャンが好きだと言ったら、彼は喜んでくれた。
私はリリドリースコットが監督した「キングダムヘブン」を数年前に観ていてそれで思い出したのだ。

彼らは日本文化が好きでその話を沢山した。

朝日がトニカク眩しくて、体がバニラアイスのように溶けてしまうような体を動かしJR渋谷駅へ向った。

そして我々はそれぞれ帰宅した。

その後も彼らとは3回程、渋谷のナイトクラブで遊んだ。

そして今回は素面で日中にカフェとかで、会って話し合おうとなった(夜だどアルコールが入るし、爆音で声は聞き取りにくいからね)


それが今回の休日である。

 

※※※※※

彼らと会う前に私は新宿で別件があった。それを終えて原宿駅へ到着したのは彼らと会う2時間も前だった。
その為待つ間は代々木公園で時間を潰そうと思った。

私はファミリーマートで買ったアイスコーヒーを飲みながら木陰で文庫本JDサリンジャー「キャチャーインザライ」を読む事にした。
この本は学生の頃から何回も読んでいるが、度々読み返したくなる。
主人公ホールデンの一人称で進んでいく物語で、不器用で見栄っ張りでしかし強がりな彼が私は好きなのである。
舞台は冬の凍てつくニューヨークのマンハッタン。
セントラルパークの池が凍って、その下で魚が春が来るのを待っている。

今日の暑い代々木公園とは真逆だが、そのギャップに私は楽しみアイスコーヒーを飲みながら活字を追う。

代々木公園の噴水池では日焼けをする為に、寝転がっているアメリカ人達(と実際は違うかも知れないが勝手に私そうは思う)が沢山いる。
本に熱中していた私はセントラルパークにいるような錯覚をおこした。
ニューヨークと東京、真冬と真夏、1950年代と2010年代。
本の情報空間の寒いセントラルパークにいる自分。
現実空間の暑い代々木公園にいる自分。
二次元と平行空間。
その二つは二匹の蛇が交接すかのように「グニャグニャ!」っと大脳意識の中で絡み合い、そして現実空間で五感を錯覚させた。

それはマトリックス攻殻機動隊のような、ネットワークや電脳空間と同じぐらいの臨場感があった。そのぐらい本の中に入り込んでいた。
その為に時間はあっ!と言う間に過ぎ約束の時間になった。

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※※※※※※※※※※※
「ジローォ!」
待合せの人々でゴッタ返す原宿駅で、既に待っていたアルマンが手旗信号のように両手を振った(その隣にはユナもいる)。
私は人ゴミをよけながら、ドリブルするかのように彼へ向った。
出会うなり我々は大きな契約成立したビジネスマンの様な強い握手をした。
初めて真っ昼間に会う喜びの握手だ。

彼らは明治神宮に言ってから、カフェへ行きたいと言ったので私も同意した。
私は明治神宮なんて来訪するのは子供の時以来だし、彼らは初めてだと言った。
大きい鳥居の前に立ち記念撮影をiPhoneでする彼らは観光客そのものだったし、その広大な神域にとても胸を躍らせているようだった。
私が韓国の朝鮮王陵や、フランスのモン・サン・ミッシェルに行くようなものかな?と嬉しそうな彼らを見て想像したりした。

明治神宮は半分は外国人観光客、あとの半分は日本人観光客の団体だった。
東京在住人は初詣以外に、普段は明治神宮にはあまり行かないかもしれない。

日光東照宮のような並木通りを抜け本殿へ入る。

私の隣にいた洋梨体型のスペイン人のご婦人が「アメ~ジング~!」を連発していた。本殿の厳かな雰囲気に圧倒されたのだろう。
なぜスペイン人と思ったかって?
それは洋梨婦人がスペイン語で隣の夫だと思われる男性と話していたからだ。
あ!でももしかしたらポルトガル語かもしれないな?と思いスペイン語ポルトガル語はどれほど違うのか私は分からなかった。
そんな事を言えば、北京語と広東語の違いは母国語以外の人は違いが分からないのではないだろうか?
よって日本人の私はアイヌ語琉球語の違いなら分かるかもしれない(でも古い言語だから分からない可能性が高いと思うが)。

そんなこんなで明治神宮を後に、代々木公園を通って我々はカフェへと向う。
場所はセンター街の喧噪からはなれた、「奥渋谷」と呼ばれている都会のひっそりとした落着いたエリアだ。
ヤヤコしい説明をここでするが「渋谷の中の吉祥寺」と言った雰囲気の場所である。

歩いて数分して喉も乾いた頃にカフェテラスのあるお店に入る。
我々は路上ギリギリはみ出ないカフェテラスの座り話す事にした(とてもおいしいアイスコーヒーだった!)

今回はそんな奥渋谷で二人の生立ちやアイデンティティ形成などを話してくれた。

まずはユナの話から紹介しよう!

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◉虎のソウルオリンピック
ユナはソウル市郊外の出身で、ソウルオリンピック(1988)の年に生まれた。
この年を境にソビエト連邦が無くなりロシアへと生れ変わり、ベルリンの壁が壊れドイツが統一し、東ヨーロッパの国々は民主化した(いわゆる「冷戦終結」だ)。
そんな境界線上に位置するソウルオリンピックは、東側世界(共産主義諸国)最後のオリンピックを意味した。

その頃私は小学校生で居間のテレビで家族と、ソウルオリンピックを観ていた覚えがある。
懐かしい少年時代の夏の匂いとともに、私はある事を思い出した。
それはニッコリと笑う虎のマスコットだ。古い記憶にあった虎のソウルオリンピックだ。

「確かマスコットが虎だったよね?」
私は遠い所を見ている様に言った。

「そう!虎!良く知ってるわね!ジロー!今でも私の実家の居間にヌイグルミが置かれているわ!」
ユナは喜んでくれたので、私も嬉しかった。
それは一つの遠い記憶が、今現在共感し合ったのだ。
私は実感した、遠い記憶も太古の記録も時には、時空を超えて人を喜ばす事もあるのだと。
(ややオーバーに考えれば、人類は悲しい記憶や記録だけでは無いはずだ。それを今回実感しただけでも私は多いに学んだ。)

ユナはソウルオリンピックに生まれたので、もちろんその記憶は無い。
幼少時の彼女は虎のヌイグルミを抱きながら、両親からソウルオリンピックの話をするのを良く聴いていたらしい。当時それだけ韓国にとって大きな国民的行事だったかと言う事だ。
特出すべき点は、韓国が民主化宣言(1987年)した翌年の開催だったと言う事だ。
私はその当時の事を思い出していた。子供頃(小3)だったから、ニュースや新聞とかでそれを見聞きした覚えは無い…。
恐らくそこまで早熟ではなかったし、世界情勢のニュースより自分の好きな本と音楽、そして釣りに夢中だった。
無論その頃にインターネットは一般家庭にはないし普及するのはまだまだ先の事だ。私が始めてインターネットに触れたのは大学のPC室だ(そんなんだからスマートフォンは更にその後の事…)。


ユナは幼少の頃から日本文化(特に音楽、ファッション、アニメ)が好きで、小学生の頃にはインターネットで貪るようにそれらを観ていた。

音楽は90年代の渋谷系が好きだといった。
ピチカートファイブコーネリアスカヒミカリィスチャダラパー…。
ほぼリアルタイムで聴いていた私からしても、なかなか趣味が良いと言わざるを得ない。

今振り返っても、当時東京はオルタナティブミュージックの最先端だったと思う。
遠い60、70年代に対する憧れ、そして欧米に少しのコンプレックスを感じない素晴らしい音楽が沢山あった。


ファションについては、
「私は日本人デザイナーが好きなの。ジュンコ シマダ、レイ カワクボ・・・」(あと数名聴いたはずだが忘れてしまった・・・)と言った。

本日彼女はジュンコ シマダのワンピースを着ていた。それは黒をベースにした生地に、色鮮やかで真っ赤花が咲き乱れた柄だ。
それをしっかりと着こなし体にフィットさせていた。

彼女のファッション論を、私なりに分かりやすく要約すると、、、
ファッションとは人生の重要なファクターであり、生きる喜びを表現する手段でもある。
それと同時に単に体に纏う布でなく、デザイナーの隠された意味(メタファー)そしてある種の概念や観念を含んだ全てを愛おしむ事であると言った。

そこまで哲学を持ってファッションを楽しんでいたら、そざかしデザイナーも洋服も感無量だろうと私は思った。

それからアルマンは「フランスのデザイナーはどうなのかな?」と質問した。
フランスパリは、ファッション流行の「台風の目」の一つだ。

ユナはいくつかデザイナーの名前を挙げたが、フランス人の名は正直覚えにくく、よって私は今思い出せない状況だ…。
しかも彼女が言うデザイナーはココシャネルやイヴサンローランやカールラガーフェルドなどではなく、とてもマニアックな名前だったからだ(もちろん私にとってだが)。
一つだけ私が知っていたのはアニエスb.。
なぜかって?それはアニエスb.の黒色ジャケットを昔持っていたからだ。

そしてアルマンが私の着ていたポロシャツを見てこう言った。
「ジローが着ているラコステもフランスだよ」

「え!ラコステはイギリスじゃないの?」私は知らずに着ていたのだ。

「違うチガウ!フランスのテニスプレーヤーだった人が作ったブランドだよ」
(ルネ・ラコステが創業した)

「え!テニスウェアー?ゴルフウェアーだと思ってたよ」

「ジロ~それはナイスで面白いぞ」
私の無知にも程があるが、こんな事で三人は爆笑した。

しかしそれを聴いた私の頭に、ある疑問が浮かんだ。
「ではシャネルやヴィトンをどれだけの人が、デザイナーの事や歴史を理解して使ってるのだろうか?」
私なりの答えはそれは、高度経済社会、使捨て消費社会ではそんなモンはどうでも良い事なのだ。
お高くて、有難くて、ファッショナブルであればそれで良いのだ、、、などと何故か毎回ヒネクレた考えをしてしまう……(もしかして私もその一人か?などと自分自身にツッコミを入れしまったりもする)。
これらはもちろん二人には話していない、私が一人で考えていただけだ。
日本人は空気を読むのだ(そしてこうゆう時だけ私は、妙に日本人ぶるのだ)。


アニメについては前半部で紹介したが、ここでももう一作品だけ上げておこう(アニメの話は沢山したのだ)。

彼女はエヴァンゲリオンも好きだと言った。

トラウマアニメとしての側面を持ち、韓国やアジアでも未だに絶大な人気があるらしい。
サムソン、LG電子は日本の電化製品を世界市場から締め出しだが、ジャパアニメはまだまだ世界で強いのだ。(私が高校生の時アメリカにホームステイしたのだが、その頃電気製品ほぼ全て見事に日本製だったと記憶している。90年代の事だ。今ではそれが韓国製に取り代わっているらしい)

それと例によってアスカとシンジの微妙な関係も好きだと言った。


ここでユナ中心の話は一旦終わりにしよう。
続いてはフランスはパリからのミスターナイスガイ!アルマンだ!

 

フランス革命で広がった国民国家
アルマンは南仏マルセイユ生まれで、幼少の頃パリへ引っ越した。
彼は歴史や日本のアニメ(本当に世界中で人気だな)好きなので、我々の会話は自然とその方向へと行った。

彼が中学生の時、図書館で運命的な出会いをする。
前述した平家物語源氏物語だ。
最初は話そのものより、甲冑の美しさに目を奪われたと言う。
西洋の鎧(プレートアーマー)は鉄製で単色であるのに対し、日本の鎧(甲冑)は色鮮やかでとても美しいと感じたのだ。
ライオンのたてがみ、カブトムシの角を思わせる、大きくまたそれでいて力強い兜。
黄金虫色に輝く奇麗に編み込まれた、腰布の文様。

彼は本やインターネットでSAMURAIやSHOUGUNを調べまくった。
そしていつか日本へ行きそれらを学びたいと思ったとの事だ。

アニメの方はドラゴンボールが好きで、フランスでは未だに人気らしい。
(子供の頃にテレビでよく日本アニメを観ていた)

私は以前から一つ疑問に思っていた事をアルマンに聞いてみた。

主人公の悟空達がよく言葉にする「気を感じる」である。
相手が近くにいるのに気がついたり、相手の強さ(戦闘能力)が分かったり。

非常に東洋的な概念だけど、それが西洋人に分かるのか?
彼らからから見たら、それはオカルトだしエクソシストではないのか?

アルマンが言うには禅や武道の精神は、欧米にも浸透しているらしい。
柔道の競技人口は日本よりフランスの方が多いし、空手やテコンドーはオリンピック競技だ。世界中に道場(Dojyo)があるらしい。

またカンフー映画特にブルースリーの影響は大きいらしい。
カンフー映画は世界中のテレビで放送されているのだ。
(NYのヒップホップクルーWu-Tang Clanの語源はカンフー映画だ)

ブルースリーが言った「考えるな感じろ!」はなかなか東洋精神を反映させる言葉だなとつくずく思った。

だから悟空達の「気」はよく分かるのだと言う。
思っているより彼らは東洋の感覚を知っているのだ。

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※
そして我々は近代の成り立ち国民国家、それがフランスから広がった話をした。

現代の我々の国民国家はほぼ同時期に欧米で起こったことに起因する。18世紀イギリスの産業革命をベースにフランス革命アメリカ独立宣言などだ。
それは個人の資本や人権が(たとえ建前だとしても)守られる、全近代にはない概念が生まれた瞬間でもあった。
フランス革命直後に、フランス革命軍とオーストリアプロシア同盟との戦いが始まった。
革命の熱狂に盛り上がっていた義勇兵はフランス全土から集まった(かのナポレオン・ボナパルトはこの国民軍を引継いだ)ここから国民皆兵制度が始まる。
これが国民国家の誕生だと言われている。

かつて栄えたアジアの帝国(中国、インドから中東までのシルクロード)は完全にその波に乗遅れた。
それ以前、世界の中心は彼らだった。(高い政治体制、文化、科学力をもっていた)。
それまではヨーロッパは寒く資源に乏しい世界の辺境だったのだ。

それぐらい資本自由と国民国家の概念は現実世界において強かった。

先人達は今の我々みたいに、海を超えた人同士が仲良く話している事を想像できただろうか?

それとも革命や戦争などの現実的な激動に翻弄され、そんな余裕はなかったのかだろうか?

我々は結論がでない問いを延々と話し続けた。
もちろんそれらは国境や時空を超えた、とても良い心の交流となったのであった。

※ここで私から一言※
世界は国民国家から次のフェーズに移りつつあるが、今回の話とは外れるのでそれはまた今度語りたい。
キーワードはフィクション(民族的共同幻想)とテクノロジーだ!

 

※※※※※※※※※※
今回を振返り…

彼らとの語り合いが触媒となり自分の記憶や精神に温かく触た気がした。
それはまるで、歴史の中で人々に忘れ去られた「古文書」を神殿の中で発見した時に感じる、知的興奮のような感覚だったかのかも知れない。

ある程度の感覚的相違があるかもしれないが、彼らも同じ事を感じたはずだ。
それは人生のなかでも素晴らしい出来事のひとつだった。
彼らに深く感謝したい。
そして彼らが東京にいる間は一緒に遊んだり語り合いたい。

今後もしバラバラになっても我々はインターネットで繋がる事が出来る。
彼らがまた東京に戻って来る事もあるかもれない。
もしかしたら私が世界中のどかかにいる彼らに会いに行くかも知れない。


我々を最初に繋げたもの、、、ダンスミュージックのグルーヴ!
それは21世紀の「LOVE&PEACE」だ!

Thanks!