※夭折のスター、トトロの山、白金台のカフェで聞いた冗談な資産運用(私的GW回想録)※
★夭折のスター達
GW入る前にスエーデン人プロデューサーDJ、Aviciiが28歳で亡くなった。
彼は米ビルボードチャートに沢山のトラックを送りこみ若くしてEDMスターと成なった。その後はDJを引退し制作に専念していた。
晩年の写真をみると激痩せし、精神的にも辛そうな雰囲気が伝わって来る。
内向的で芸術家肌の彼は、文字通り世界中を回るDJツアーは過酷そのものだったはずだ。
プライベートジェットに乗り現地入りしDJプレイをし、高級ホテルのスウィートルームに宿泊する。
物理的な移動距離があっても、彼の精神は鳥籠のセキセイインコの様に永遠に「そこ」から脱出できないでいたのではないだろうか?
数十億を稼ぎだしても彼の安らぎは無かったのかもしれない。
そうして彼は夭折のロックスターやラップスターの仲間入りをしてしまった。(EDMプロデューサーDJでは初かもしれない。)
数多くのロックスターはオバードーズで夭折した。
ジミヘンドリックス、ジャニスジョップリン、シドビシャスその他大勢。
私の好きだったカートコバーンは27歳の時に、ショットガンで自らの頭をぶち抜いた。
多くのラッパー達は抗争で夭折した。
ビギーと2PACは、BEEF(RAPでのDisり合い)が引き金となってショットガンで打たれ亡くなった。
Avicii死因は公式発表はされていない。
もし彼が生延びて、30代になっていたらどんなトラックを作ったのだろうか?今後永遠に新譜を聴けないのは残念だ。
★トトロの山
若き天才プロデューサーDJが夭折して1週間後、私は自然を満喫したくなり久しぶりに八国山に行った。
所沢市と東村山市の境にあり、そこは埼玉県と東京都の山半分ずつの管轄になっている。
となりのトトロでサツキとメイのお母さんが、七国病院に入院しているシーンがあるが、そこのモデルになっていると言えば分かりやすいかもしれない。(実際に名前は違うが病院もあった)
この時期は山歩きは花粉も無く体調も万全だ。
風は気持ち良く木々は新緑に満ちあふれ、世界中の緑が集結した色みたいだった。
鳥達は伴侶をみつける為に様々な声色で歌っていた。
私は丸太に座り文庫本を読んだ。
数ページ読むと「自然の音」をiPhoneで録音した。
いずれApple Logicに取り込みアンビエントミュージックでも制作しようかな?と思いながら。
そういえば自分のMacBookは古いので、iPhoneは取り込めないかもしれないとその時思い出した。
でも別にメール添付してGメールで送っても良いし、そもそも制作するかは未定だ。
そうしてGW初日は終わった。
★白金台のカフェで聞いた冗談な資産運用
学生時代の友達と白金台にカフェで久しぶりにある事になった。
私は恵比寿駅に降りてGoogleマップでカフェまで行こうとしたが、時間を正確にしたいのでタクシーに乗る事にした。
乗込むとタクシーの運転手はInterFM897にチューニングを合わせ、Kendrick Lamarの「HUMBLE.」が流れ始めた。
そのトラックはピアノのリフに中毒性があり、Kendrick Lamarのラップもカッコいいなと改めて思いながらシートに座り上着を脱いだ。
そしてよく話しかけてくる運転手であった。
「朝から翌朝までの24時間運転勤務は大変ですよ」と疲れたように話し始めた。そして我々は到着まで10数分程話した。
そのうちお金や景気の話になり始めた。
私は「この先は(六本木や麻布)は「お金持ち」や「エライ人(大使館が多い)」をよく乗せるでしょう、さぞかしチップも弾みますね」と言った。
運転手は「いやこの先の人たちチップなんかくれませんよ、10円単位でしっかりおつりももっていきます」
「お金にシビヤなんですね」と私はいった。
「下町の方がチップやおつりの端数をくれますよ。例えば北区や足立区なんかは」
下町は人は粋を大切にし、社会的な成功者はお金にシビヤなのか?その先にある森ビルを見ながら私は思った。
そしてSuicaで清算しタクシーを降りたのは、約束の10前だった。
K(学生時代の友人)は日経新聞を読みカフェテラスに座っていた。
「いよー久しぶりだな!」
とKは言った。彼の服装からいささかお金回りが良さそうに思えた。
ジャケットはブルックスブラザーズ、インナーとパンツはヨウジ
ヤマモト、革靴はジョンロブ、メガネはトムブラウン、そして腕時計はダグホイヤー。(確か前回合った時はオメガのスピードマスターだった)
事実彼は仕事で成績もよく、同年代の誰よりも稼いでいた。(彼はタクシー運転手にチップは渡すのだろうか?聞いとけばよかった)
Kは大学を卒業後は大手の証券会社に就職し、その後ヘッドハンティングされながら数社渡り歩いている。さぞかしボーナスも凄いのだろう。
そんな彼は独身貴族を満喫している様子だった。
「いやー久しぶり2年半ぶりだな」
私のポロシャツはユニクロ、カーディガンはGAP、パンツはH&M、メガネはJ!NS、スニーカーはナイキのコルテッツだった。(腕時計は普段から付けない)
「相変わらずお前は大学生みたいなカッコしてんなw」
とKは言いエスプレッソを一口飲んだ。
「あー昔から変わらないかもな、お前みたいに成金趣味な格好はしなくないよw」
と笑い合い、私はウエイトレスにブレンドコーヒーを頼んだ。
私が上着を脱ぎ始めた頃、Kはブルドックの様な皺をオデコに刻みながら、話し始めた。
「お客様、資産運用なさいませんか?資産は寝かしておくだけだと増えません。銀行の利率は年々下がる一方。ここで新規公開株など…」
と言った所で私が口を挟む。
「バカ野郎、資産を運用するほど持ってないわ!」
私はビートたけし風にツッコミを入れた。
「あー分かってるよ、冗談だw。」
と彼もツッコみを入れられた、お笑い芸人のように笑った。
彼が言っている資産とは、7、8桁の事だ。
そんな資産を普通の人はもっていない。
ここ1~2年はリーマンショックから立ち直り、東京オリンピックに向け、仕事も増えているらしく休みも少ないらしい。
海外とのやり取りで時差もあり、万年寝不足だと目を赤くしていた。
出張も国内外で飛び回っているらしい。
「俺が入社時は先輩達のバブルの自慢話を嫌って程聞かされたよ。若者は夜も寝ないで金を使い遊び、次の日は寝ないで仕事をした。そして上等な服を着て、高級車に乗り、何万もするメシを食べる。それぐらいしないと女の子に相手にされないとかさ」
24時間戦えますか?(我々が子供の頃TVCM良く見た)
その当時¥が世界を席巻しジャパン アズ NO.1なんて言われ、23区の土地代で全米が買えるなんて真意の程が分からない話まであった。
「俺らが大学を卒業して、数年は超デフレでその後はリーマンショックだったから大変だったな。今は仕事を始めてから一番いい時期かもしれない(今は東京オリンピック景気に湧いているらしい)。」
Kは当時を振り返りながら言った。
「あーあの頃はマクドナルドのハンバーガーが59円、吉野家の牛丼が280円まで値下がりしたな。そのあとナントカ景気で良くなったらしいね」
私には殆ど関係ない景気の話は、お金が空を飛び回り、それを皆で(Kのような人たちだ)空中戦をしているように思えた。
下界の私にはどうでも良い話だ。
我々が大学を卒業する前後にインターネットが広まってIT革命なんて言っていた。
当たり前だがススマートフォンはおろか、YouTubeやiTunes Storeも無かった。
2005年には選挙で圧勝した第三次小泉内閣が郵政民営化をして、この規制緩和はグローバル化に一歩前進などと言われた。
「小泉内閣がグローバル化を進めたんじゃない。インターネットがあらゆる情報を、世界中に拡散させグローバル化した。
それ以前は、海外の株を買うのに必ず証券会社を通さなかればいけなかった。
今では個人でも買えるよ、勿論インターネットを使ってね。シンガポールでは租税回避地(タックスヘイブン)として多くの日本人がいるよ。俺の元同僚や先輩もな。一日数時間働き(複数の画面で数字を追う)、フィリピン人のメイドを雇い、高級車に乗り同じような資産家同士でゴルフしたりホームパーティしたりカジノへいったりしてるんだ。」
赤道に近い常夏で、資源に乏しい高経済都市。そこに私は行った事がない。
「その後は2008年にリーマンショックが世界中を襲った。俺はその時ロンドンにいたよ。
頭がオカシくなった投資家が窓から空へ向けて、散弾銃をぶっ放すのを見たよ。」
そうなのか、人に向けないだけましだったなと思い、そしてやはり自分には関係なかった出来事だった。当時思い出されるのは、EDM前夜のエレクトロにハマってたぐらいだな…。
「まあ先程言ったが、今では大分回復して来たがな」
その後もKと私は思い出話と世界経済と来るべく東京オリンピックの好景気について話し込んだ。
帰りは恵比寿駅まで歩いた。
白金台は下町のノスタルジーな雰囲気と、近代的な建物が入り乱れていた。
それを見ていたら私は無性に上海に行きたくなった。きっと上海はもっとカオスに満ちあふれているであろうと思ったからだ。
いつか行ってみたい上海タワー!
こうして私のGWは終わった。
八国山